第234号:リクルートスーツ再考

私はリクルートスーツには反対ではありません。むしろ賛成派だったのですが、最近は少し考え直しています。それは個性が表現できないとかグローバルスタンダードではないとかのよくあるベンチャー企業や新興産業の社員が語るような視点では無く、それを着る学生の精神が幼くなってしまったからです。スーツ着用がだんだん辛くなってきたこの季節に再考してみたいです。

 

元々、私はスーツが好きではありません。初職で就いた企業は、確かにスーツで仕事をするのが当たり前でしたが、個性重視の大らかな社風でしたし、外資系企業に転職してポロシャツにジーンズで通勤できるようになったのは天国でした。転職した10数年前、サンフランシスコでの新入社員研修に「ビジネス・カジュアル」で来いと言われて戸惑いました。当時NYに駐在していた友人にから「ジャケット着てれば何でも良いんだよ。」と聞きつけ、カジュアルなブレザーにカラーシャツ(ネクタイはしませんでした)で研修会場に向かったところ、ほぼ全員がジーンズで、中にはTシャツに短パンのナイスガイもおりました。(勿論、翌日から私もジーンズです。)

 

翻って、私がリクルートスーツを着るのに賛成するのは、次の二つの理由からです。

1.公私の気分転換をする機能があるから。最近の公私混同企業(かくいう私もそうですが)ではこうした点は逆に嫌悪されますが、女性の化粧のように、その準備をすることによって自由人である個人から社会人である仕事人になるのです。なので、私は授業では必ずネクタイをしています。

 

2.やはり中身で勝負と思うから。だったら服装は何でも良いという視点もありますが、どんな服装であれ、外見を先入観に入れたくはありません。これは特に採用担当者にとって必要なセンスではないかと思います。勿論、どんな服装をするかは個人の指向性把握の材料にはなりますが。

 

しかし、最近の長期化で1年中リクルートスーツを着させるのは残酷だと思うようになりました。大人への変身アイテムが、就職産業の奴隷服・囚人服に見えてきたのです。特にこれからのシーズン、リクルートスーツでビジネス街を学生に歩かせるのは酷なことでしょうし、学生によっては「私は今も内定がありません」という貼り紙を貼られている気分になるでしょう。

 

スーツ企業は「スーツデビュー」等とはやし立て2着3着と買わせますが、スーツを着用するということは、公式の場に出ること、個人の都合ではなく、社会の常識にあわせていくことだったはずです。つまり大人・社会人への変身アイテムのはずが、七五三の衣装になってしまいました。そんなものならジーンズの方がましです。

 

私がこのショートコラムを書き始めたのは、2002年6月からです。ちょうど10年となりました。しかしその間、就職活動というのは良い方向に向かってきたのでしょうか?就職活動がイベント化され、産業化されてきた現状を見直す必要があると思うのです。リクルートスーツが本来の意義を取り戻して欲しいと思います。

第233号:結果の出ない他責学生

続々と届く学生からの内定報告を聴いていると、やはり模擬面接や相談で見てきた感触通りの結果だと思わされます。採用選考活動は基準が曖昧でわかりにくいと言われますが、多くの結果を見ていると、企業は変われども、それは至極妥当な視点で判断されているのだなと感じます。就職活動は確かに運に左右されるものですが、決して運だけでは決まりません。前回も書きましたように、この時期の未内定者にとっては、今がまさに変革できるかの瀬戸際です。

 

内定者を月ごとに時系列で追ってみてみると、こんな感じに見えます。4月にすっと決まる学生たちは大学生としての活動内容が充実しており対人スキルも高く、いわゆる「優等児型」です。

5月になって決まる学生たちは4月内定組と変わらない資質や経験をもっていながら、対人スキルやものの見方にちょっとした「クセ」があり、最終選考でつまずくタイプ、つまり「個性児型」です。

6月に入ったいま、やっと決まってくる学生は、4月から挫折を繰り返しながらも諦めず、失敗から学んで自分を変化させていった者たちです。「努力児型」と言って良いでしょう。

 

そしてまだ結果が出る気配が見えず、これからしばらく苦労しそうな学生の共通点を一つだけあげると「他責的で自己成長(変革)していない」ということに尽きると思います。これを私は「怠惰児」と呼んでいます。努力をしていないというわけではありません。努力の方向が自分に向かずに環境のせいにしており、自責の念を持って自己改革を行わないという意味です。

 

これは前回触れた「ミドルレベル学生」と同じで、中途半端に能力があるのでプライドが高く、傷つくことが弱い現代の若者に特有の傾向です。地力はある方なので、ちょっとした機会で目覚めれば、すぐに結果が出やすいタイプでもあります。そのキッカケは、親や教員や就職課の相談員のような知己ではなく、初対面の社会人、つまり自分のことをまったく知らない大人に客観的に課題を指摘されたときが多いようです。問題はそうした社会人がなかなか身の回りにいない、ということですね。

 

実は、上記の「優等児」「個性児」「努力児」「怠惰児」の4タイプは、私が企業で社員の能力開発を担当していたときに作った類型です。発想力と忍耐力の2軸が基準で、両方とも持ち合わせているのが「優良児」、独創的だが飽きっぽいのが「個性児」、閃きは無いがコツコツ続けられるのが「努力児」、そして両方とも見られないのが「怠惰児」というわけです。新人研修をしながらアセスメントを行い、評価分析をしておりました。私は採用業務を担当する以前に能力開発を担当していたのですが、その時に見つけたこのノウハウは、そのまま採用選考基準としても使っておりました。

 

そして、大学教育の現場にどっぷりと浸るようになり、採用側から学生支援・教育側になったいま、改めてこの4タイプが見えてきました。それはこうした就職活動の結果だけでなく、担当している授業でも同様です。他責的な怠惰児がどんどん増えてきていることに危機感を感じます。就業力や社会人基礎力という「能力」は、これまで相当に大学でも研究されてきました。しかし、その根底にある努力する方向性の研究については、これからだと思います。大衆化してきた大学の難題に直面し、学生以上に悩むことになりそうです。私たち教員も自己改革しなければならないかもしれませんね。