第238号:生きたコミュニケーション力の鍛錬

ようやく前期授業の成績採点が終わりました。私の授業は元々50名前後を想定して組み立てられたものですので、法政大学のような大規模大学で1クラスが100名(時に200名)を越えるような場合は一苦労です。本音を言えば、出席票の集計と1回の期末レポート・試験だけで採点する方がはるかに楽なのですが、それでは社会で求められるリアルタイムコミュニケーション力が鍛えられないのです。

 

私の授業の成績評価の配点は、出席点が35点、期末レポートが20点、そして最も配点の高いのが毎回の授業の後に提出させるリアクションペーパーの45点です。つまり、私の授業ではただ出席するだけではなく、しっかり授業を聴いて自分の意見を書かなければ単位がとれません。そしてこのリアクションペーパーの採点が膨大な作業になっているのです。

 

学生にとって大変なのは、リアクションペーパーを書くための時間を十分に与えていないことです。記入する時間をちゃんととって欲しいという学生からの要望もありますが、あえて行っておりません。というのは、これによって採用選考でも就職後の業務でも必須の「生きたコミュニケーション力」を求めている、鍛えているからなのです。

 

生きたコミュニケーション力とは「動的コミュニケーション力」とでも言うべきもので、いま目の前でおきている現象・状況を理解把握しながら考え分析し、アウトプット(発言・記録)する力です。高校までの授業とは異なり、教員である私が発言したことや板書(殆どは授業前に配布済)したことをそのまま書き取るものとは異なる能力です。この力は、例えば営業活動でお客様との会話の中から情報を収集・分析し、次の提案や交渉を行う場面等、仕事上の渉外場面で必須です。

 

一方、学生のもつコミュニケーション力とは、静的なものが多いように見えます。例えば、ファーストフードでのアルバイトなど、お客様との対応がある程度定型化している業務(効率上、お客様の方を企業の都合の型にはめています。注文後、他にお客が居なくても「一歩右にずれてお待ち下さい」と言われます。)では殆ど求められません。極論すれば、今の日本社会では、動的コミュニケーションとは正社員に必須、静的コミュニケーションとはアルバイトに必須ともいえるでしょう。

 

実を言うと、採用担当者も面接ではこの生きたコミュニケーション力をフルに発揮しているのです。質問を投げ、応募者の回答を分析して次の質問を考えては記録を残す・・・、応える学生も大変ですが、面接官も必死なのです。

 

期末レポートでは多くの学生が「10数回のリアクションペーパーの作成によって相当に書く力がついた」「メモのコツを掴んだ」「他の授業でも応用できる」というコメントを書いてくれました。

 

学生にとってリアクションペーパーを書くのは大変ですが、それを見る方も相当に苦労しております。お互い大変ですが、これが社会に通用するキャリア教育のひとつと信じて汗を流していきたいと思います。「一つのことに集中すると周りが見えなくなる」「自分の都合で相手を待たせる」学生達を鍛え直すために。

第237号:なぜ成績表は採用参考で重視されないか

大学は夏休みに入りましたが、教員は前期末レポート・試験採点の佳境です。私もオリンピック中継を横目に答案の山と格闘しています。しかし、こうして一所懸命に行った授業の成績採点(成績表)は、企業の採用選考において必ずしも重視されておりません。この悩ましい事実について考えてみましょう。

 

最近大学の成績が重視されるようになったとの論がありますが、これは進学率が上がり多様化した大学生を選抜する最初のスクリーニング(初期選考)が必要になってきたことであって、企業採用担当者が成績表をちゃんとみるようになった(採用選考の必須基準にする)とは言い難いと思います。というのは、以下の理由から採用担当者にとって成績表はそのまま信じるわけにいかないのです。

 

・本人の成績かどうかわからない

適性検査(初期選考・非面接選考)での最大の課題は本人認証です。Webテストでは、複数学生が同時に回答する、本人以外の(有名大学の)学生による代理受験等、CIAやゴルゴ13に負けない対策をとる学生もおります。故に多くの企業は適性検査をテストセンターで行っております。

また、授業に一切出席せず、真面目な同級生や後輩からノートのコピーをとって受験する、レポート作成を友人に依頼するというのは、私の学生時代(前世紀)からあることです。

 

・教員の評価基準がマチマチ

仮に全て本人がレポートを書き、テストを受験したとしても、その課題の難易度、成績評価の基準の厳しさ(甘辛)は教員によってマチマチです。なので、私自身も採用担当者時代には、応募者の大学の中で代返のできない科目、テスト評価の厳しい先生の授業を把握して、成績表の中でもその科目だけを見るようにしておりました。

 

・大学での学びの本質が理解されていない

教員で民間企業での勤務経験がある方は稀少です。商学部や経営学部の教員なら研究活動の中で理解していけますが、文学部などでは企業で社会人が働くシーンを見たことも無い教員も多いでしょう。そのため「私の授業は社会で役に立つものではありません」と語る教員さえおられます。

 

こうした背景があるので、現状の成績表はそのまま採用選考基準にするわけにはいきません。(逆に言うと、そうした点も見抜けるのが上級の採用担当者です。)

更に、私は教員になって7年になりますが、私自身が教員側として成績評価をする際に、非常に悩んだことがあります。それは成績評価(結果)のもつ教育効果です。学生は、成績の結果によって学問への関心や意欲が変わります。特にキャリア教育は本人の人格に触れることが多く、かつ確固たる正解がある分野ではありません。そのためレポートを読んで、その内容自体は低レベルであっても、書き方に意欲や熱意を感じた場合には、その点を評価に加える場合があります。しかし、これは学生を知らない採用担当者にとっては困ったことでしょう。

海外の大学を模範に秋入学を導入するならば、海外で標準となっている成績表(GPA)評価を採用選考基準(応募要件)にする点も見習わなければと思います。