第248号:期末レポート採点とES評価

大学の期末試験の時期になりました。私の授業(キャリアデザイン系科目)では、筆記試験ではなくレポート提出を求めています。半年ほど前のコラムで、私のレポート採点基準は企業のエントリーシート(ES)の評価基準と同じであると書きましたが、レポートとESを一緒に書くようになったこの時期だからこそ、学生には大事にして欲しいと思います。読まれることを意識した書き方は、相手を動かす文章力ですから。

 

前回お伝えした採点基準の中に、『前向きであること』と『品格がある』というものがありました。これらは採点基準の中では上位に位置するものですが、わかりやすく言えば、そのレポートを読んだ相手の気分が良くなるということです。ここで学生が勘違いをしがちなのは、相手にお世辞を使うのか、ということです。「自分に素直」でありたい学生は、嘘やお世辞をつくのが嫌いで、「自分をもってない」と宣います。しかし、試験ではそうはいきません。それで評価されることに気づいてないと、単位は出ないし、就職試験も通りません。

 

具体例をあげると、『前向きであること』とは、講義を聴いて感じたことだけを書くのではなく、そこから更に原因の分析や将来への対策も書くことです。私の講義では、キャリアモデルとして偉人の業績を紹介したり、ユニークな学生生活を過ごした先輩学生に体験談を話して貰ったりしています。以前であれば、多くの学生が「もっと頑張らなければと思った。」「この人のようになってみたいと思った。」等の感想が大半でした。しかし、数年前からは「私とは違うと思った。」「今日の話を聴いて不安になった。」等が多くなり、「~が不安だ」「~が不安だ」の感想文のオンパレードです。

私は、「不安なのは十分わかったから、では、その不安の原因は何で、どうすれば良いかと書かなければ単位はだせません。それがキャリアデザインです。」と伝えています。それを何回も繰り返すことによって、徐々にではありますが、学生の書き方が不安の向こうまで書くようになってきます。

 

もうひとつの『品格がある』とは、授業でゲスト講師が来た際に「お話しから何でも感じたことを自由に書きなさい」と指示しますが、仮にその話がつまらなかったり分からなかったりした場合でも、「今日の話はさっぱりわかりませんでした。」とか「言いたいことがわかりません。」という表現をせずに、相手に配慮した書き方をするということです。

例えば「今日の講話は私にとって未知の分野で新鮮だった」とか「お話しを伺って、自分の理解力の未熟さに気づかされました」等の大人の表現をするということです。単純な話者なら喜んでくれますし、鋭い話者の場合は自分の話し方を反省します。いずれにしても、こうした感想文やレポートは相手に評価され、相手の行動を促すということです。

 

こうした文章を書くためには、ボキャブラリー(知識)と感情コントロール(自制力)と戦略的思考(計画性)が必要です。それこそが、大学で教えるべきことであり、企業や社会が求めていることでしょう。皆さんも、主催された社会人講演会で、学生の感想文をゲストに見せるのに冷や冷やしたことはありませんか?こうした点を指導しておけば、安心ですよ。

 

第247号:12月解禁は大学教育破壊

今年も学生から「お願いメール」が届くようになりました。「お忙しいところスイマセンが、エントリーシート(ES)を添削して戴けませんでしょうか?」というものです。1月は期末試験を前にどれだけ教職員が忙しいのかわからないのでしょう。勿論、それは学生も同じなのですが。それでも何とか時間をとってみるのですが、文章力は年々低下していて読んでいて情け無くなります。

 

いきなり感情的な文章から初めてしまい恐縮ですが、それは情け無い学生のESがたくさん届くようになってきたからです。ESの実例を以下にあげましょう。有名企業に応募した学生の志望動機です。

 

「私は地道な作業をこなせるだけではなく、挑戦する力があります。御社のテレビCMは私のもっとも好きなCMです。音楽や映像のインパクトも大きかったのですが、貴社の技術力を感じました。貴社の商品はお客様の希望に答えるだけではなく、気づかない部分にまで目を向けさせ、サポートしてくれるものだと思っています。(以下略)」

 

この文章は最初の2文だけでもう先を読む気がなくなります。これは採用担当者としても教員としても同じです。まず1文目が結論とは思えません(課題が自己PRならこの出だしでも良いのですが)。次の2文目になると、もう1文目との論理関係が飛躍(破綻)しています。3~4文目となると、また別の展開に向かってしまいそうです。これは論文の書き方の基本である、パラグラフ・ライティング(主文+説明文+結文)という基本的な論理構成をわかっていないということです。文学作品やブログならばともかく、起承転結の「転」は論文では使わないのが原則です。

 

昨年もESの書き方について「一次情報にあたる」「複数の情報を集める」「持論を展開する」という基本的な取り組み方の欠如を指摘したのですが、それ以前の文章の書き方のレベルが年々下がってきています。そこを気づかせ、鍛えるのが大学の授業であり期末試験なのですが、3年生にもなってこんなESを書くようでは、論文についても心配です。

 

更に心配なのは、文章力だけではなく、こうした依頼をする学生の思考や態度です。「添削して下さい」と頼んでくる学生は、大学入試の小論文でも担任の先生に書いて貰ったのか?と思わされます。自分の書いたものに対して評価やコメントを伝えるのは良いのですが、「どう書けば良いのですか?」などと聴いてくる学生の態度を教員は許してはいけません。企業でも良い上司なら「どうすれば良いのですか?」と手ぶらで尋ねてくる新人には「お前はどう思うのか持ってこい!」と指導します。

 

知識やスキルは短期間に習得することもできますが、思考や行動様式は短期間には変わりにくいものです。大学は自ら考えて試行錯誤する能力を4年間かけて育成する場のはずですが、それが就職活動の早期化で妨害されている現状も情け無いです。せめて3年生が終わるまでは学業に専念させてやって欲しいものです。影響を受けているのは、一握りの優秀な学生では無く、多くの勉強が必要なふつうの学生なのですから。このままでは恥ずかしくて採用担当者にあわせる顔がなくなります。