第305号:「学歴フィルター」の捉え方で判断ができる

某国民的有名企業が「学歴フィルター」の存在を暴露されたと話題になりました。ネット時代になってから定番ネタになっているので真剣にとりあうのもなんですが、このフィルターの捉え方でその人(学生、採用担当者、教職員、コンサルタント等々)の見識のレベルがよくわかります。

 

採用活動が企業の営利活動の一環である以上、コンプライアンスに触れない限り、どのような方針をとろうが企業の自由で、この資本主義社会の基本が、何故か企業(採用担当者)が叩かれることになるのはちょっと可哀想だと思います(「指定校制度」を堂々と言えた昭和が懐かしいです)。いつもお約束のように、公的な資格試験や大学入試の如く「公平ではない」「アンフェアである」とのコメントが頻出します。

 

もっとも今回の場合は、学歴フィルターそのものではなく、これを使っていないように見せながら(積極的にそうした表現をしていたとは思えませんが)使っていた現象が不誠実であると批判されています。だから「学歴フィルターを使っていると公開すべきだ!」という意見も目にしますが、私にはこれらもナンセンスに思えます。というのは、こうした方々は世の中の現象が全て公明正大に動いている、世界は白か黒かのどちらかであるべきであるというデジタル思考の論者だと思います。もし、こうしたデジタル論者の人材を企業が採用したら、現場から「扱いにくくてしょうがない!」「なんでこん奴を採ったんだ!」と言われます(私も本当に言われました)。

 

世界の殆どはグレーでアナログなのです。グレーとは怪しいとか疑わしいとか悪いことができるというのではなく、現実的で人間が知恵で個別に対処しなければならないということであり、そんな人材が企業には有用なのです。

 

ということで、学歴フィルターというものの捉え方で、その人間の成熟度というか、社会適合性が判定できると私は思います。以前、このコラムでもご紹介したとおり、できる人の共通点は、環境のせいにしないことですから。できる学生は、学歴フィルターの存在を問題にするより、それをどう乗り越えるか、避けるかを考えます。採用担当者としては、そうした若者の方が魅力的ですからね。採用選考で「学歴フィルターをどう思うか?」というグループ・ディスカッションをやってみたら面白そうです。

 

ところで、こうした学歴フィルターに似たネット社会独特の現象(問題?)はどんどん増えています。そのもっとも身近なのは、Googleの検索結果の表示です。あまりに良く使うので忘れられがちですが、Googleのような検索エンジンの仕組みでは利用者の傾向にあわせて表示結果が変わります。ユーザー重視の「最適化」とか「カスタマイズ」などと言われますが、良く考えると恐ろしいことです。知らぬ間に毎日の我々の関心や行動が分析され、それによって見せられる世界がコントロールされている・・・、学歴フィルターより罪深いかもしれません。

 

 

 

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