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第117号:プロが居なくなる人事異動

企業の人事異動の季節にもいろいろありますが、最も多いのは6月末でしょう。多くの日本企業が3月末の決算を経て株主総会を終えた頃です。大学就職課の方々や企業採用担当者もちょうど今がシーズンの切り替えなので、今年も多くの方から異動のご挨拶を戴きました。しかし私は短期間の就職課職員・採用担当者の異動には反対です。それはプロを育てない人事異動だと思います。

 

定期人事異動は長らく日本型人材育成のシステムでしたが、それが有効なのは環境や市場の変化の少ない安定的な経済成長が続くときであり、かつ転職等の外部労働市場が存在していないときです。まだまだ自分自身の専門性の形成段階にある20代の現場の若い担当者ならば、定期人事異動で組織文化を学びながら自分の適正を見極めていくのは良いことでしょう。しかし、現在のような環境変化の激しい時代では、「その道のプロ」である就職課や採用担当者等の中間管理職の異動については慎重であるべきだと思います。何故なら、この仕事は組織外部に関わる仕事が益々増え、その内容も高度になってきており、この分野で専門性と人的ネットーワークをもった人材が重要になってきているからです。それらは組織の貴重な財産になっているはずです。

 

就職課も採用担当者も中間管理職が異動になると大変です。特に全く未経験の部署から異動してくると、本人は右も左もわかりませんが、そんな中でも相談や面接に来る学生に、さもベテランのように対応しなければなりません。学生から見たら、就職課も採用担当者も相談のプロだと思っていますし、その信頼がなければ学生も心を開いて話してくれません。かつてはそんな場面でも、その部署の内部で助け合って教え合ったものですが、企業においては成果主義の名の下に他者(後輩)を助ける余裕が無くなってきています。(さて、皆さんの大学は如何でしょう?)

 

その結果、企業の採用担当者には急速に企画・立案の出来るプロが少なくなっているようです。そんなプロは転職して外部で採用コンサルティングの仕事に就き、退職後も業務委託契約等で継続して同じ仕事を行っているケースも増えてきました。これと似たような形で、大学でも卒業生の就職支援を人材サービス企業に委託したり、学外のキャリアカウンセラーを契約社員として起用している例は珍しくなくなってきましたね。

 

しかし、外部パートナーとの協働作業で注意したいのも、やはり人事異動です。というのは、人事異動が繰り返されてくると、新しく異動してきた新人よりもベテランの外部パートナーの方が組織の内情や課題に段々と詳しくなります。その結果、社員が外部のパートナーに教わっているなんて逆転現象がおきます。まあ、独立したプロには有り難いことなのですが。

 

 

第116号:日本のインターンシップの夏

就職戦線は早くも夏のインターンシップに向けて動いています。その形態や期間は本当に多様ですが、採用担当者がインターンシップを担う場合、その目的の殆どが早期の母集団(応募者)形成に他なりません。そのため、”日本のインターンシップ”は「短期間」「パッケージ化」「隔離」という傾向が大きくなってきました。

 

母集団形成がインターンシップの目的となると、できるだけ多くの学生に参加して貰うことがポイントとなりますので、学生が気軽に参加しやすい形にならざるをえません。今の学生は情報過多の社会に生まれてきましたので、短時間に結果だけを知りたがります。その結果、多くの企業のインターンシップは短期間で概要を伝える方向になり、OneDayインターンシップという言葉も生まれたのですね。

 

また、効率よくインターンシップを開催するためには、できるだけプログラムをパッケージ化して同じサイクルを数多く回すことが必要です。その結果、研修企業がインターンシップを請負い、その企業に合わせたビジネスゲームのようなプログラムを作り、合宿形式で仕事場と隔離運営する形態も出てきています。大企業がCSR目的と謳って大学で寄付講座(社会人教育)を行っているところもありますが、それもこの形態に近いですね。

 

こういうわけで、採用目的の”日本のインターンシップ”は、一見多種多様になってきているように見えますが、実はその根本的なところ、学生の取扱方では似てきています。これはインターンシップが採用目的になったせいなのか、同質化を目指す日本人の特性なのかわかりません。明らかなのは、それを受講した学生の体験やものの見方は似て来るということです。

 

さて、こういった環境になると、これからは「インターシップや就職活動はやっていません。勉強(サークル活動)ばかりやっていました。」という学生の方がキラリと光ってくるかもしれませんね。上記の通り、同じような経験をした学生は、当然に体験から話す内容が似てきますから差別化が難しくなってきます。ファースト・フードや居酒屋やコンビニエンス・ストアのアルバイト体験談が光らないのと同じです。

 

前期試験を前に、この夏休みの計画を考えている学生も多いと思いますが、是非他者とは違う個性的な夏休みを過ごして欲しいと思います。

 

第115号:法政大学キャリアデザイン学部のキャリア教育検証

今春、初めて卒業生を輩出した法政大学キャリアデザイン学部開催のシンポジウムに参加してきました。この4年間のキャリアデザイン学部の取り組みを通じて見えてきたキャリア教育の検証というテーマで、非常に参考になる内容でした。

 

シンポジウムの個別内容は多岐に渡りましたが、その中でも私個人の印象に残った言葉をご紹介したいと思います。

・『自分探しの学生はお断り』

キャリアデザイン学部は創設当初より高い人気で志願者を集め、大学経営としては成功を収めました。しかし志願者の内訳は期待通りではありませんでした。というのは、この学部に志願する方は「他者のキャリアデザインを支援できる人材」と「自分のキャリアデザインができる人材」であり、前者を社会人、後者を高卒学生と想定しておりました。その社会人と学生との交流から学習するのが狙いだったわけですが、社会人学生の入学は少なく殆どが「自分探し」の学生になってしまったそうです。

しかし「自分探し」は大学生(若者)にとっては当たり前の行為であり、しかも卒業までに答えの出るものでもありません。そのため、キャリアデザイン教育という独自性がわかりにくくなってしまい、最終的に卒業後にどんな分野でどんな活躍をする人材を輩出するのが曖昧になってしまいます。その点への問題提起でしたが、非常に潔い言葉だと思いました。

 

・「キャリア教育は道徳教育」

キャリアデザイン学部は設立する前からそのコンセプトを理解して貰うのに苦労したそうです。経験豊かな教授に説明をすると、「なんだそれは道徳教育ではないか!」と言われてしまったそうです。確かに多くの大学で導入されているキャリア教育プログラムを見ると、以下のようなものが多いです。

1.学外社会人講話によるオムニバス講義

2.自己理解・自己発見ワークショップ

3.コミュニケーション系トレーニング

4.インターンシップ

5.地域コミュニティ活動

これらを見ていると、やはり日本社会から失われつつある人間関係を感じます。本来はそこから自然に身に付いた道徳や常識や対人スキルが未成熟成っているのでしょう。それに大学進学率向上やデジタル社会等の現代の社会変化が拍車をかけています。

 

こうしてみると、キャリア教育には、これまで当たり前でやらなくても良かったものを、改めて行うところに現代的な意義があるようです。キャリア教育としての議論もいよいよ第二章に入ってきたようですが、法政大学にはこの分野の更なる研究を期待したいと思います。

第114号:続けるべきか止めるべきか

いま、採用担当者がもっとも悩んでいる問題です。先日の新聞紙上では大手企業の4割が新卒採用を終了したと報じておりましたが、これは全国の企業数の1%にも満たない有名大企業の中の4割ということで、殆どの企業が採用活動をまだまだ継続中です。しかしながら今の環境を考えると、採用担当者が採用活動を続けるべきか止めるべきかでハムレットばりに迷っています。

 

ピークを越えたと言われる現在、採用・就職活動を続ける企業と学生の心境はどんなものでしょう?

▼企業の気持ち:

・良い学生はもう就職活動を止めてしまったのではないか?

・まだまだ採用枠はあるけれど、どうやって応募者を集めたら良いのかわからない。

・人出も足りないし、そろそろ来年(2009年卒採用)の準備をしないといけない。

⇒その迷いの原因は、何処に就活継続中の学生が居るのかわからない「出会い不能」の悩みですね。就職情報企業のデータからマクロな傾向はわかっても、その学生が何処でどうしているのかわからない、ということです。大学就職課でも最近はなかなか状況を把握できないのですから。

 

▼学生の気持ち:

・今の内定企業では納得できないけれど、昨年秋からずっと就活なのでもう1日も早く止めたい。

・まだ一つも内定がないが、もう疲れた(もう選考で評価されて落ち込むのは嫌だ)。

・魅力的な企業が見つかったのだが、今の内定企業に誓約書を出してしまって動けない。

・まだ続けたくても、採用活動を続けている良い企業が見分けられない(怪しい所が多いのではないか?)。

⇒こちらの原因は、何処に良い会社があるのかわからない「出会い不能」の悩みだけではなく、新たにゼロからチャレンジするのは辛いという心理負担もあります。早期に就活に取り組みながら、春先は人気企業ばかり回ってしまい、納得いく結果が得られなかった学生が陥りがちな心境です。

 

こうしてみてみると、この2者には出会いのミスマッチだけではなく、精神力のミスマッチも起きているのがわかります。企業は採用意欲満々でも、相手の学生は応募意欲が切れかかっているということですね。この双方の悩みはまだしばらく続くでしょう。

 

ところで大企業で意外と多いのが、「トップダウンで決まったので継続採用をやるしかない(現場はもう無理だと感じていても、形の上でもやっておかないとトップが納得しない)。」というケース。そういえば、かつてはリクルーター経由で採用活動の大半が終わっていても、対外的な世間体のために就職協定解禁日に自由応募の会社説明会を開く企業がありました。どちらも採用担当者にとってはトホホの不毛の仕事で泣きの声をよく耳にします。売り手市場でも買い手市場でも採用担当者の苦悩は尽きません。

 

第113号:採用担当者のモラル

前回、「就職活動の法律知識とモラル」というタイトルで書きましたが、残念ながら採用担当者のモラルが問われる事件が起きてしまいました。全く言語道断のことですが、これを機会にリクルーター制を導入する企業側の責任についても触れておきたいと思います。

 

周知の通り、今シーズンからリクルーターの大量導入が盛んです。メディア過剰の現在、ネットではなく人的交流から学生を惹きつけようとする傾向は今後もしばらく続くことでしょう。リクルーター制の是非はともかく、こういった事件がおきてしまった以上、リクルーター制をとる企業は、その行動について指示委管理監督をより強化することを求められるでしょう。これはもう、リクルーターを使う企業にとって、コーポレート・ガバナンスの問題でもあります。「人が唯一無二の資本である。」と謳う企業なら尚更です。

 

一般社員をリクルーターとして大量に導入している企業は、社内で学生対応のための説明会を開催したり、マニュアルを配付したりしています。その中身は、リクルーター活動の重要性・具体的な活動内容・持参資料・人事への報告方法・出張経費精算等ですが、必ず学生に接する際の心得についても触れています。しかしながら、まだまだがパワー・ハラスメント、セクシャル・ハラスメントについて、しっかりルール化しているところは少なく、「社会人として、××企業の社員として、恥ずかしくない態度をとること」という程度に説明されているのが殆どです。

 

一昔前の日本ならば、それで十分に通じたのですが、残念なことに今は個人の判断に任せるだけでは十分ではなく、例えば『学生との個別コンタクトは密室で行わず、必ず他者の目に触れる場所(大学食堂、喫茶店等)で行うこと。』といった具体的な指示が必要でしょう。大学内の就職指導時に、学生に対しても指導すべきですし、大学就職課の方から企業人事に対してリクルーター制の有無と運用ルールについては確認されても良いと思います。

 

採用面接の場においても面接者のモラルは大事です。私は企業人事の時代、採用担当者全員に面接開始時には自分の名前を名乗って貰っていました。社員を信用しないわけではありませんが、そういった行動をとることによって面接者が自戒できるのです。企業説明会でも「もし、私たちの面接を受けられて不快な想いをされたら、遠慮無くそのインターネットでその面接者の実名を書いて下さい。」と伝えていました。幸いながら一度も不名誉な事態は起きませんでしたし、多くの企業採用担当者は問題ないでしょう。

 

上述の通り、今回の事件は企業人事部の管理下以外で発生したものではありますが、リクルーター制をとる企業は今後、一層厳しい管理監督を行うべきだと考えています。今回のテーマは触れるのも嫌で、日本人として情けないことですが、現実と想像の区別がつかなくなってきている事件が多発している現在、改めて注意を喚起しておきたいと思います。そろそろ新卒学生向けの法律相談所も必要な時代かもしれません。

第112号:就職活動の法律知識とモラル

GWも明け春先の選考で納得のいく企業から結果を出して貰った学生たちの内定辞退活動が盛んです。私が書いているネット上の掲示板でも、内定辞退についての記事へのアクセスが急増しています。これも売り手市場の影響だと思いますが、就職活動をしめくくるためにも学生さんには最低限の法律知識とモラルを身につけて戴きたいと思います。

 

学生側の売り手市場になり、企業の採用熱が急上昇すると同時に採用担当者の意識も相当に焦りが見えてきました。学生の誘因や囲い込み、そして入社の意思確認等、今季はだいぶ荒っぽい採用活動が増えてきます。特に急増するリクルーターについては、人事側の指導が十分でなかったり、また採用担当者の中にも法律知識(とモラル)を心得ていない輩が居るのも事実です。

 

採用した従業員に対して企業がキャリア自立・自律を求めているのは、社員が自分で自分の労働者の権利を守らなければならなくなった、ということです。故に就職する学生にも、冒頭に述べた内定辞退についても最低限の法律知識を身につけて欲しいと思います。私は数多くの大学で就職セミナーを行って参りますが、ご依頼内容の殆どは「自己分析」「模擬面接」「ビジネスマナー」等のハウツーに関するもので、残念ながら「就職活動に必要な法律知識とモラル」というテーマでご依頼を戴いたことはありません。また、そういったテーマのセミナーも寡聞にして存じません。(本来なら就職セミナーの一番初めに伝えるべきことだと思います。)

 

例えば内定辞退の法的な根拠だけではなく、アルバイトでもたまに目にする「残業代全額支給」や、人材紹介業でも目にする「応募者からは紹介料は戴きません」という文言があります。残業代は払うのが当たり前で払わないのは違法行為ですし、ふつうの有料職業紹介では応募者から紹介料を搾取するのも違法なのは、法律を知っていれば当たり前のことですし、知っておきたいことです。

 

これまでの日本は法律が出しゃばらなくても、モラルで解決できた社会なのですが、それがあらゆる所で崩壊し、巷間では信じられない事件・現象が起きています。世の中で働く殆どの労働者が労働法について知り得ないのは当然ですが、「知らない者が損をする」のが法律の世界でもあります。

 

私は学生に権利を主張するためだけの法律の知恵をつけるつもりは毛頭ありません。それは却って学生のためにもなりませんが、一人の社会人(労働者)として働くことの意味と責任を理解して欲しいと思うのです。大学全入時代を迎え学生の質も意識も変わり、以前であれば当然に身につけていた知識とモラルを改めて教育しなければならない時代です。卒業前の就職活動を通じて、本当の「教養」をもった社会人になってほしいと思います。

 

▼ご参考:私が気紛れに書いている掲示板です。

http://www.careerangel.jp/community/html/index.php

第111号:就職受験証明書

大学での新学期が始まりました。昨年からキャリア教育の授業を担当している私ですが、就職シーズン真っ盛り!というのを目の当たりにしました。教室に履修届の出ている学生が半分しか居りません。逆に、出席している学生から「先生、××君は今日は就活で休むそうです。」との数多くの伝言。ああ、こうやって採用担当者は大学の学事日程に迷惑をかけているのですね・・・。

 

練りに練った4年生向けの新しいプログラムを、期待と気合いと少々の不安を抱えて望んだ講義初日でしたが、それらは上記の通り見事なカウンターパンチを貰ってしまいました。授業は毎回の積み重ねを考慮しながら組み立てて進んで参りますし、特に私の講義はグループ・ディスカッション等のワークショップがあるので受講生が半分では実施できません。参加している学生だけで進めることもできるのですが、それでは欠席した学生を取り残すことになりますし、今日出席している学生も来週は企業の採用面接に呼び出されているかもしれません。困ったものですね。結局、出席学生には「企業を取り巻く雇用環境と採用戦略の関係」という授業(?)を行ったら思いの外、大好評でしたが。

 

2回目の講義では、初日に欠席した学生が、「就職受験証明書」なる珍しい(?)書類を提出してきました。大学の就職課が用意した書式に受験企業の名称と担当者のサインが入っております。そういえば私が現場の採用担当者であったとき、それらしい書類にサインをした記憶があります。本来ならば、企業が大学の学事に重大な影響を出しているのですから、企業の方から「欠席お詫び状」でも出して欲しいものですが、恥ずかしながら当時はそういった配慮に欠けておりました。(勿論、応募学生には「授業と選考がぶつかったら遠慮無く言って下さい。日程を調整します。」とは伝えておりましたが。)立場が変わって新米教員としては、これをどう受け止めて良いものか悩みます。

 

つい先日、今シーズンの求人倍率が発表になり、大企業と中小企業の倍率格差はますます大きくなりましたが、過去最高の売り手市場になっております。これからしばらくは学生(大学)の立場が強いので、大学側から企業に採用活動の是正変革を要求するのに良い時期です。教育改革に匹敵するほどの重要なことだと思います。

 

しかし、採用担当者に休日出勤、残業での面接日程のご依頼はどうぞご勘弁を。愛すべき採用担当者仲間は、もう過労死になりそうなほど働いておりますので。

第110号:就職支援とキャリア教育

新年度になりました。桜の季節に新入生を迎えるというのはやはり良いものですね。自然が新たな若者の旅立ちを祝福しているようです。私も昨年から大学非常勤講師として暖かく迎えられ、試行錯誤しながらキャリア教育に取り組んで参りましたが、この時期に改めて新入生に望むのは、現実を受け入れる勇気です。それこそがキャリア教育の第一歩であり、4年間のキャンパスライフと就職活動が成功するかどうかのキーになるでしょう。

 

この1年間、学生と触れ合って驚いたことは、意外と多くの学生が「自分はこの大学に望んで入ったのではない」と思い続けていたことです。大学受験に失敗したという意識ですが、入学したばかりならともかく、高学年になっても現実を受け入れることができずにネガティブな気持ちでキャンパスライフを過ごしているというのは驚きでした。経緯はどうあれ、この現実をどう良くするかと考えないのは、自分の時間を入学時で止めてしまうことです。失敗だったら失敗と認め、さてどうするかと考え始めれば、止まった時間が動き出し、失敗は成功のタネに変えられます。

 

就職活動でもこれは大事な能力なのです。自己分析をするときに学生が陥りがちな失敗は自分の過去を「客観的に分析」してしまうことです。企業の採用担当者が知りたいのは、そういった事実そのものではなく、そういった事実を踏まえて学生がどれだけ成長してきたか、です。つまり、採用担当者が求める自己分析は「主観的な意思」なのです。「分析」という言葉が良くないのかもしれませんね。私は自己分析とは、自分の過去の事実を現在の時間で見つめ直してその意味を読み解くことであり、更にそれをどう活かしていくか創造することだと思っています。だから自己分析とはクリエイティブな活動なのです。

 

『時計の針は元には戻らない、だが自らの意志で進めることはできる。』とはあるアニメのセリフですが、昨年の1年間の低学年キャリア教育では、学生にこういったものの考え方を教え、学生の時計の針を動かし、更に早く進めるように指導してきました。時計の針を動かし、有意義なキャンパスライフに自ら変えていくことが、就職活動で「もっとも力を入れたこと」をより大きなものにすることになるのです。

 

私は、就職支援が学生へのサービスであるの対し、キャリア教育はあくまで教育でありスタンスは異なるものと考えています。サービスは学生のニーズに合わせて提供するものであるのに対し、教育は(信念に基づき)学生に強いるものである、ということです。このことは教育職員の方々には釈迦に説法ですが、大切なことは学生がそれをちゃんと理解しているかどうかです。自主性は放っておいても育ちませんし、リーダーシップも役割が来なければ身に付きません。

 

多くの新入生を迎えるこの時期、改めて学生に勇気を伝える勇気をもって今年も頑張りたいと思います。それが学生生活の総括である就職活動を成功に導くと信じています。

 

第109号:裏金と栄養費と奨学金

2年ほど前にもここで書きましたが、またプロ野球の就職に関する事件がニュースになりました。球団に入団することを前提に、「栄養費」と称する金銭の授受を行ったものです。事の真相はマスコミに任せるとして、就職・採用の視点でこのテーマを考えてみます。

 

今回も出てきた就職を前提とする「栄養費」ですが、この行為自体については法的な問題はありません。関係者のご家族が当初「奨学金と思っていた」とコメントされていたように、多くの企業でも奨学金を設定しており、大学の掲示板でも募集広告をごくふつうに見かけます。その中にたまに入社を前提としたものもあります。金額は月に数万円位で、諸般の事情で入社ができなくなった場合は、変換する契約になっています。さすがに今回の事件のような高額なものは一般募集では出ませんが。

 

奨学金の意義は高い資質と能力と意思をもちながら、進学する経済力が無い有望な若者を支援するために始まったものと思われますが、苦学生という言葉が死語になりつつあるいま、その意義は優秀な社員候補の確保に変わってきているでしょう。内定した学生に奨学金を支給して、アルバイトなどに手を出さずに学業に専念して欲しい、と経済的援助を行う企業もあります。(ホンネは内定者の意思確認にあるのかもしれませんが。)

 

正社員の場合でも、幹部候補生育成のために海外留学制度(MBA等)を利用する際には、帰国直後に転職したら手当を変換させる規定を設けているところが殆どです。企業にとって、優秀な社員を選抜して重点的に育成投資することは極めて当然の活動です。

 

つまり今回の事件を見てみると、問題は「栄養費」を出した行為そのものではなく、そういった行為は協定で禁じたにも拘わらず、秘密裡に行ったことにあります。そこが「栄養費」が「奨学金」ではなく「裏金」になってしまった原因ですね。

 

翻って就職倫理憲章はどうでしょうか?プロ野球と違って、全企業が承諾したものではありませんので問題が発生することにはなりませんから「奨学金」が「裏金」に化けることはないと思います。しかし、

この憲章を遵守する企業から4月1日に内定が出てくるような場合、ちょっと突っ込んでみたくなりますね。大手メーカーの中には他社はどうあれ、律儀に4月から選考を始める企業も多いです。正直者が報われないような日本では困ります。

 

第108号:履歴書とエントリーシートと面接

企業のエントリーシート(ES)の締め切りが迫り、面接も始まってきました。学生達は履歴書を手に企業訪問を行っておりますが、この履歴書とESと面接との使い分けがちゃんとできていなくて、勿体ないと感じることが多いです。幸いなことに、今シーズンはかなり門戸が広いのでESだけで門前払いされることは少ないように見えますが、ESの内容は面接の原稿作りの様なものですから、しっかり書いて欲しいものです。意外にも、会話に自信のある学生ほど、事前の準備がおろそかで本番で支離滅裂になることが多いです。

 

冒頭で書いた「履歴書」と」エントリーシート」と「面接」の使い分けですが、大雑把に言えば下記の通りです。

 

・履歴書・・・骨格

・ES・・・肉体

・面接・・・服装(&化粧)

 

つまり、同じテーマでも3通りの表現方法ができるわけです。履歴書は自分のエッセンスというか、自分の経験を客観的事実中心に記載した面接のメモのようなもの。その上に自己PRが加わって具体的エピソードを述べたものがES。しかし、裸のままでは失礼ですので、ちゃんとリクルート・スーツを着ていくのが面接の会話です。(女性は化粧も忘れずに。)

 

履歴書・ESと面接の違いは、紙メディアと人メディアの違いです。前者は文字に制限がありますので、専門用語・数値を使って無駄なく効率よく書いて欲しいです。後者は生きた言葉ですので文字制限はあまり気にならなく、具体的描写に自分の感情を載せて活き活きアピールして欲しいです。ESにすると相当文字数を食うものでも、臨場感を伴った会話ではそれほど気になりませんし、気持ちは文字よりリアルに伝わります。

 

ごく基本的なメディアの使い分けについて書きましたが、この3つのメディアを全く同じにしている学生をよくみかけます。勿体なあと思うと同時に、採用担当者として面接で履歴書やESと同じ話をされるほど退屈で眠たくなるものはありません。是非、目が覚めるような自己PRを聞かせて欲しいものです。