第286号:期末試験答案を採用選考基準で見てみると

大学教員として期末試験の採点をしていると、最近の答案の解読が難解なことに悩まされます。学生の書いている内容が高度なら悩み甲斐もあるのですが、一見して(一読ではありません)、この文字はどう読むのだ?という象形文字のような字体が増えてきています。これらの答案を企業の採用選考基準で判定したら、半分も通らないでしょう。それらのケースをご紹介致します。

 

1.判読不能な文字(筋力・集中力不足?)

まずは冒頭に述べた、もの凄いクセ字で、何を書いているかわからないケースです。教え子の答案なので、なんとか読み取って単位を出してあげたいのですが、あまりにも個性的すぎて判読できない文字(?)が増えています。スマホでキーボードばかり使っているからでしょうか。特に、最近流行のキラキラ名前は、「薔薇」のようにとても画数が多くて書きにくい漢字をもった子が増えています。他人事ながら、自分の名前をそんな字体で書いて恥ずかしくないのかなあ、と感じさせられます。親御さんもそうした名前をつけるなら、必ず書道教室に通わせて欲しいものです。

 

2.与えられたスペースの半分も書いていない(忍耐力・思考力不足?)

期末試験の立ち会いをしていると、退出可能な時間になると、すぐに答案を提出して立ち去る学生が居ります。そうした学生の答案の殆どが白紙に近い状態で、諦めが良いものだと感心します。しかし、少しヤマが外れた位で白旗を揚げるということは、正解が1つしかないと思い込んでいる中学生と同じです。都市伝説になっているカレーライスの作り方を書かれても困りますが、目の前の問題を如何に解釈し、如何に自分の論に展開し、それを丁寧に書いたなら、少なくとも情状酌量されるかもしれません。与えられた課題を持っている限りの知見で何とかするのが社会人で、一見して無思考でやる気がないとわかるのは困ったものです。

 

3.品格がない(常識・コミュニケーション力不足?)

設問とは関係のない授業や社会の不満等を長々と書いているケースです。こうしたことを書く学生には乱文&毒舌家が多いです。仮にそうしたことを書きたいのなら、表現・敬語を工夫すれば、採点者に知的水準を感じさせることもできるでしょうに。どんな試験でも、評価する人間は自分ではなく他人になります。この答案はどのように読まれるのか、ということを考えたこともないような答案では、コミュニケーション力(人を動かす力)がないなあ、と感じます。(本人は気分良く書いて、単位を捨てているのかもしれませんが。)

 

現代は手書きの機会もどんどんなくなっており、多忙で、ストレスが多いです。しかも自分らしさが大切にされていますから、これらは若者の現代病といえるかもしれません。学生は男女とも、ファッションやお洒落には熱心ですが、1日3分でも良いので心を落ち着かせ、自分の名前を清書して「ありのまま」を見直すことを勧めたいと思います。ちなみに私は、来期のシラバスの評価項目には「この授業の評価基準は企業のエントリーシートと同じにする」と記載しようかと思っております。

 

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