第315号:卒論イロハを知らない学生&社会人

灯火親しむ晩秋の候、勉学にじっくり打ち込むには最適の季節ですが、大学では卒論の締め切りを前に右往左往している学生も見かけます。私は任期付き教員なので正規のゼミはもっておりませんから、直接卒論の指導をすることはありません。しかし、たまにアドバイスを求めて駆け込んでくる学生がおります。状況を聴いてみて、卒論の書き方の無知さに愕然とすることがあります。

 

まず、なぜ指導教官ではなく、私のような授業や就職支援で縁のある教員に相談に来るのか尋ねてみるのですが、「先生が放任主義なのです」と回答はほぼ同じです。論文の作成においては、通常の授業のようにシラバスや教科書はなく、参考文献は自分で探し不明な点は教員のアポを取って指導を求めていく能動的な学習(というより研究)スタイルが求められますが、それが「教えてくれない」という生徒意識から変わっていないのですね。座学で出席しさえすれば単位の貰える科目ばかり履修していた学生には卒論の指導教官は不親切に見えるのでしょう。

 

次に、論文のテーマや問い(リサーチクエスチョン)を尋ねますが、あまりにもテーマが大きすぎたり、問いが漠然としていたり、そのままでは締め切りはおろか10年かかっても仕上がらないような設定になっていたりします。(恥ずかしながら、私も最初はそうでしたが。)そして、調査対象や方法を聞いてみると、身の回りの友人100人にアンケートをとる等、新橋のサラリーマン100人も驚くような偏りかたです。

 

さて、こうした学生の勉強不足に嘆息しながら新聞を見ていると、ここにも不可思議なアンケートや分析の記事が出ていたりします。例えば倫理憲章の記事等では以下の様な表現は気になります。

 

「8月への後ろ倒しは失敗だった」⇒内定率は良く失敗の定義が不明

「就職活動期間が長くなった」⇒後ろ倒しになったので今期は当たり前

「今年は昨年より大変だった」⇒学生は毎年就活をしないので比較困難

 

極めつけは「就活で学生が学業をおろそかにした」ですが、解禁日を4月や6月にして学生が勉強に励んでくれるなら諸手を挙げて賛同します。そんなに簡単に学生が勉強してくれるなら親も教職員も苦労しませんね。時期を前倒しにして学生が勉強するようになったかを是非検証して欲しいです。

 

こうしてみるとマスコミ関係の方々は、もしかすると卒論を書かずに卒業した方々ではないのかな?と思わされます。つい先日も国連関係者が「日本の女子生徒の13%が援助交際に関わっている」との根拠不明な発言をされましたので、世界的な傾向かもしれません。

 

正解の無い問題を考える、事実をもとに意見を展開する、受け売りはしない、卒論で教えるべきことが改めて大事になってきたと思うこの頃です。

 

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