第266号:コンピテンシー面接(自己分析)の弊害

10月になり、各地の大学には企業採用担当者が『業界研究』に訪れるようになりました。大学内の掲示を見ると、12月からは『企業研究』のオンパレードです。過去のコラムで何度か書いておりますが、私は大学生が社会を知るためにこうしたセミナーが開催されること自体は良いことだと思っており、採用選考の時期が早すぎるのが問題だと思っています。

 

しかし、この2つのことを切り離して考えるのは学生にも企業にとっても難しいようですね。企業の採用選考活動は、大学生に大きな影響を与えますから。例えば、すっかり主流になったコンピテンシー面接は、学生の社会を知る努力や意欲をすかっり削いでしまったと感じています。

 

コンピテンシー面接について改めて説明する必要はないかと思いますが、学生の行動実績にフォーカスし、その体験事実からどんな能力を身につけたかを問うものです。ここで問題になってしまったのは、一部の企業では『事実』の有無だけを聞きだし、将来への志望や見通し(志望動機)を問わなくなったことです。そうした企業の言い分を聞いてみると「学生の志望動機は社会をあまり知らずに語るから参考にはならない」「何を言ったかではなく、何をやってきたかで評価する」等々、ごもっともです。

(私はこのような上目線の面接をする採用担当者は嫌いですが。)

 

学生もそうした企業にあわせて、自分の過去の体験を振り返る『自己分析』に力を入れるようになりました。ここには『自分らしさ』『個性』をゆとり教育の影響もあるのでしょう。その結果、社会を知る『業界・企業分析』は後回しになり、『志望動機』はますます表面的なものになってきました。

 

改めて『自己分析』という言葉がいつ頃から使われてきたかと調べてみると、それはバブル後の90年代前半からです。更に古い前世紀の話で恐縮ですが、私が就職活動をした80年代には『自己分析』という言葉を聞いたことはなく、『自己PR』という言葉も珍しかったです。逆に誰もが必死に考えていたのは『志望動機』です。

 

当時はまだ指定校制度がありましたので、企業のセミナーに行って話を聞くということは有名校だけに許されたことでした。そのため、私のような中堅大学生は、新聞記事のバックナンバーを調べたり、証券会社の資料室に出向き、志望動機を考えるために、その業界や会社のことを一所懸命に調べたものです。そして、結果的にそれが社会を広く知ることとなり、行動力や調査力や忍耐力や根性になったものです。いま思えば、それは大学でレポートや論文を書く作業とも全く同じことでした。(残念ながら、当時も勉強のことはあまり面接では問われませんでしたが。)

 

翻って、いまの企業の採用活動を見ていると、学生に対して罪なことをしているなあ、と思わされます。特に情報洪水社会の中を生きる今の若者は、多忙で効率を求めがちで無駄なことをしたがりません。コンピテンシー面接自体は良い面接手法だと思いますが、せめて『志望動機』も聴いて欲しいものです。それは自社に応募してくれた学生に対する礼儀でもあります。そして研究不足で世間知らずとわかったら、すぐに不採用で結構ですから。

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